みんな、おしゃべり! 11月29日(土)より、ユーロスペース、シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次劇場公開 通じ合わない人たちが、大混戦!!CODAの映画監督・河合健による、消滅危機言語コメディ誕生! 通じ合わない人たちが、大混戦!!CODAの映画監督・河合健による、消滅危機言語コメディ誕生!
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THEATER NEWS

TRAILER

INTRODUCTION

STORY

CAST

STAFF

CAST

監督:河合健

映画の登場人物たちと同じように、日本語・日本手話・クルド語が入り乱れ、ああだこうだと言い合う現場でした。言葉の壁を乗り越えるというよりは言葉の壁を使って遊ぶような日々でした。
みんなが一つになるわけではなく、それぞれにしか分からないこと、譲れないものがあり、それらを受け入れながら進んだ結果、とんでもないものが撮れました。改めて、素敵なスタッフ・キャストに感謝しています。
また、本作では字幕も表現の一部です。いわゆる「バリアフリー」ではなく、「バリア」を活かしたオリジナルの字幕を作りました。それぞれの第一言語を持つ観客にしか見えないもの、感じ取れないものがあり、その“ズレ”や“抜け落ち”こそが、この映画の核になっています。
前の席や隣の席に座る異なる文化・言語を持つ観客の反応も含めて、楽しんでもらえたら嬉しいです。

ろうドラマトゥルク・演技コーチング:牧原依里

本作では、初めて演技に挑戦するろう者や子どもたちを中心に、演技コーチングを担当しました。またドラマトゥルクとしても、河合監督と対話を重ねながら、作品の方向性を模索し、監督の意図を汲み取りながら並走してきました。
初めて脚本を読んだ際、冒頭のシーンをみて「これはすごいことになる」と直感したのを今でも鮮明に覚えています。河合監督ならではのユーモアあふれるアプローチで、これまで誰も正面から扱ってこなかった、いわば“タブー”とされてきたテーマに、ウィットに富んだ視点から果敢に挑んでいます。脚本を読んだ段階では理解しきれなかったラストシーンも、今では私がもっとも愛する場面のひとつとなりました。ここまで多言語を本質的に取り入れた映画作品は、かつてなかったのではないでしょうか。
実は、字幕の見せ方ひとつをとっても長い議論を重ねてきました。最終的にどのような形になったかは、ぜひ劇場でご覧いただけたらと思います。 この作品は、まさに“私たちがこの社会をどう生きているのか”を映し出すものです。映画界のみならず、ろうコミュニティにおいても語り継がれる一本になると確信しています。

クルド表現監修:ワッカス・チョーラク

言語をテーマにした作品で、クルド語が描かれると知った時、とても嬉しく思いました。在日クルド人二世の言語問題、また出身地によりトルコ語・アラビア語に分かれたクルド人のリアルな現状を切り取りつつ、映画ならではの驚くような展開が待ち受けています。深刻化する世界の分断や言語の壁を、シニカルにユーモラスに描いた素晴らしい作品です。ぜひ映画館で楽しんでください。

PRODUCTION NOTE

プロジェクト始動の背景

本作は、河合健監督の個人的な背景にある体験から着想を得ている。ろう者の両親を持つ監督にとって、「ろう者やCODAを題材とした映画を制作したい」という思いは、長きにわたり温められてきた構想であった。日本映画学校在学中からこの企画は検討されてきたが、自身の経験に近すぎる題材であったがゆえに、具体的な制作へと踏み出すことが困難であった。取材と企画の検討が続けられ、その期間は16年にも及んだ。その間、「言語」を核とするテーマ設定は一貫して保持されていた。

従来のろう者やCODAを扱った映画作品には、監督が感じていた違和感があった。それは、ろう者やCODAに対する世間の誤解や認識の誤りを常に感じていた監督は、障害の有無といった二項対立的な視点や、親子の関係に終始しがちな題材に対して、どうしたらもっとリアルで現実的な世界観を構築できるか?という課題を持っていた。そこで、本作の企画においては、これらの既存の枠組みを超克し、「言葉の壁」という普遍的なテーマを多角的に、そして深く掘り下げていくことが目指された。

脚本構築の道のり

脚本の構築は、当初監督単独で進められていたが、制作上の課題に直面し、共同脚本という形で複数の脚本家が参加することによって大きな転機を迎えた。この共同作業は、監督自身が客観視出来ていなかったCODAという存在とより深く向き合う時間を提供した。一種のセラピーのような時間だったと監督は話している。

初期の構想には、海外からの留学生が登場する設定があった。しかし、脚本が深まるにつれて、言語の壁というテーマに最も強く関連し、日本における言語的マイノリティという側面を持つ「クルド人家族」が物語の重要な要素として組み込まれていった。

本作の脚本は、単に「ろう者と聴者」という限定的な対立構造を描くものではない。社会に存在する多様な人々、聴者視点では掬いきれないろうコミュニティの中に潜む複雑な実情、外国から来た人々が日本で豊かに暮らしている現実など、画一的なイメージではない、個々の家族が織りなす多層的な物語が紡ぎ出された。この多角的な視座は、従来の映画では捉えきれなかった、より複雑で豊かな人間模様を映し出すことに繋がっている。

キャスティングの方針

キャスティングにおいては、本作の根幹をなす「言語」というテーマの重要性から、ろう表現の持つ精緻さと難解さを理解する当事者の参加が不可欠であると判断された。プロの俳優が手話を完全に習得するには、時間的・技術的な限界があるという認識のもと、以下のような方針でキャスティングは進められた。

<夏海役(聴者のコーダ)>
主人公・夏海役の長澤樹は、実際にろう者の家庭にホームステイし、手話による生活を送ることを条件に選出された。音声言語を封じ、徹底的な手話の体得は、コーダとしてのリアリティを追求する挑戦的な試みだった。長澤の手話習得の速度は、手話指導者が驚嘆するほどであった。

<ろう者キャスト>
父親役を除くろう者キャストは、オーディションを通じて選出された。和彦のお友達役の那須英彰や今井彰人のようにプロの俳優として活動する者もいるが、ろう者の方々が持つ強いアイデンティティを尊重し、台本通りの演技に留まらず、その個性そのものを作品に投影することが重視された。

<父親・古賀和彦役>
父親役は、オーディションでは適役が見つからず、最終的に本作ろうドラマトゥルクの牧原依里さんの提案を頼りにラーメン店の店主を務める人物が抜擢されるという、異例の経緯を辿った。この人物は、映画のストーリーと近似するキャラクターを備えており、その境遇が役柄と深く共鳴することから、監督が直接交渉し、出演を懇願した。当初は多忙を理由に辞退されたが、監督の熱意が実を結び、出演が実現した。

<クルド人キャスト>
クルド人キャストの選出には、まず「ビザ」という現実的な問題が立ちはだかった。そこで、日本クルド文化協会であるワッカス・チョーラク氏に監修を依頼し、ビザの条件を満たし、かつ役柄に合致する人物の紹介を求めた。クルド人キャストとは、喫茶店などで面談を重ね、会話を通じて役柄を絞り込んでいった。クルド人キャストの中には、複数の言語を操る者もいたが、手話通訳とは異なる「要約」された通訳に起因する混乱が生じるなど、言語の壁がもたらす現場の課題も露呈した。

撮影現場と創作の葛藤

撮影現場は、監督自身が当初意図したロジカルな演出プランだけでは収まりきらない、予測不可能な様相を呈した。特に、ろう者・クルド人キャストそれぞれがが持つ強いアイデンティティは、監督に「自らの意図を優先するのではなく、キャスト個々のこだわりを全て受け入れる」という方針への転換を促した。結果的に、この柔軟な姿勢が現場に「カオス」をもたらし、それが作品に予期せぬ、しかしポジティブな影響を与えたと、監督は後に振り返る。

また、監督自身もろう者と直接コミュニケーションを取ろうとするあまり、無意識に通訳を介さずに話そうとしてしまうCODAの癖があった。これにより、(監督の)声が出なくなったり、通訳者が何を話しているか分からなくなったりするといった問題が頻発し、撮影期間中、監督は自身のコミュニケーションの癖と真摯に向き合うことになった。

クルド人キャストの撮影においては、スケジュールの調整が最大の課題だった。彼らは通常の仕事を持っているため、休日の確保や撮影期間の延長が必須となり、最終的には数日間の休みを追加で設けることになった。さらに、ヒワ役の俳優がトルコ語と日本語しか話せず、クルド語を習得しなければならないなど、様々な困難が複雑に絡み合った。

ロケ地・美術へのこだわり

ロケ地の選定において、最も難航したのは主人公の家となる電器店だった。予算が限られる中、最低限の広さを確保し、かつ既存の電器店を借りるという制約があった。監督は関東全域の電器店を調査し、最終的に横浜の、ある電器店が快く撮影に協力してくれたことで、撮影は無事に実現した。現代において個人経営の電器店が少なくなる中、長期の撮影に協力してくれる場所を見つけるのは、まさに至難の業だった。

観客の皆様へ

本作は、ろう者、クルド人、聴者という、異なる背景を持つ人々が、「言語の壁」という普遍的なテーマを通じて交流する物語です。映画館という空間で、観客がそれぞれが持つ異なる言語や文化の違いを感じながらも、共に映画体験を共有してもらうことを目的としてます。

かつての映画館は、観客が自由に感情を表現し、隣の席の人と会話を交わすような、活気に満ちた場所だったと思います。本作は、現代の静まり返った映画館とは異なる、そのような映画館本来の「原点」に立ち返るような体験を提供することを目指してます。ろう者と聴者が隣り合わせで笑い、語り合うような、映画館でしか味わえない楽しさを、ぜひご堪能いただきたいと願います。

これは、単なる「障害」を描くことに留まる作品ではない。「言葉」を通じて生まれる人間の多様性と、それを乗り越えようとする人々の営みを描いた作品です。映画館で、登場人物たちが直面する「言葉の壁」を、共に感じ、それぞれの視座から物語を心ゆくまでお楽しみください。